メジャーリーグの魅力と基本知識
「日本のプロ野球はある程度分かるけれど、メジャーリーグについてはあまり知らない」という人は多いのではないでしょうか?
メジャーリーグで活躍する日本人選手を知るための参考として、まずはメジャーリーグならではの魅力や基本的な知識を紹介します。
メジャーリーグの概要
メジャーリーグは、アメリカのプロ野球リーグのことで『MLB』『大リーグ』などとも呼ばれます。
日本のプロ野球が『パシフィックリーグ(パ・リーグ)』『セントラルリーグ(セ・リーグ)』の二つに分かれているのと同様に、メジャーリーグも『アメリカン・リーグ(ア・リーグ)』と『ナショナル・リーグ(ナ・リーグ)』の二つのリーグに分かれています。
両リーグの優勝チームがワールドシリーズを戦い、頂点となるワールドチャンピオンを決定するのが、メジャーリーグのレギュラーシーズンの流れです。
なお、日本のプロ野球が各リーグ6チーム計12チームであるのに対し、メジャーリーグは各リーグ15チーム計30チームでの戦いとなります。
試合数が多い分、選手たちの認知度も高く、アメリカンフットボール・バスケットボール・アイスホッケーに並ぶ『アメリカ4大プロスポーツ』の一つに名を連ねています。
初めてメジャーリーガーに選ばれた日本人
日本人で初めてメジャーリーガーになった人が現れたのは、1964年のことでした。法政大学第二高等学校から南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)へ入団し、2年目を迎えていた投手・村上雅則選手です。
サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフレズノへ、野球留学したことがきっかけでした。留学時に活躍を見せた村上選手は、同年サンフランシスコ・ジャイアンツへ昇格し、日本人初のメジャーリーガーとなったのです。
南海ホークスの意向により1966年に帰国すると、以降村上選手はアメリカへ渡ることなく、北海道日本ハムファイターズの選手として1982年に引退を迎えています。
海外での活躍・ダイナミックなプレー
日本国内でメジャーリーグの人気が高まっている大きな理由に、日本人選手の活躍や、メジャーリーグならではのダイナミックなプレーが挙げられます。
日本のプロ野球であれば「見送るのが妥当」と判断されるようなボールに対し、果敢にバットを振っていくメジャーリーガーのプレースタイルに、思わず心を奪われてしまう人も少なくありません。
日本人選手の活躍をきっかけにメジャーリーグを見た人が、メジャーリーグならではの魅力に引かれてファンになるというのが、近年のメジャーリーグ人気の基本的なパターンといえそうです。
メジャーリーグの日本人選手人気ランキングの算出方法
メジャーリーグの日本人選手人気ランキングは、株式会社アーキテクトが行う独自調査を集計して構成しています。以下、ランキングの詳しい算出方法を解説します。
当社独自の集計方式で算出
メジャーリーグの日本人選手人気ランキングは、株式会社アーキテクトが実施している業界最大規模のタレント調査『タレントパワーランキング』から算出したパワースコアをもとに作成しています。
パワースコアとは、調査結果に対し、各タレントの認知度(顔や名前を知っている)・誘引率(見たい・聴きたい・知りたい)を掛け合わせて求めた値です。
今回のランキングは、2023年2〜5月度に行われた調査をもとに作成しています。
メジャーリーグの日本人選手人気ランキング
順位 | タレント名 | パワースコア | 調査時期 |
1位 | 大谷翔平 | 50.8 | 2023年5月 |
2位 | イチロー | 34.1 | 2023年5月 |
3位 | ダルビッシュ有 | 24.5 | 2023年2月 |
4位 | 新庄剛志 | 23.0 | 2023年5月 |
5位 | 松井秀喜 | 21.5 | 2023年5月 |
6位 | 田中将大 | 21.3 | 2023年5月 |
7位 | 松坂大輔 | 20.1 | 2023年2月 |
今回のランキングでは、現役の人気メジャーリーガーから、すでに引退してレジェンドとも評されている有名選手まで、さまざまな名前が並ぶ結果となりました。以下、それぞれの詳細について解説していきます。
1980年9月13日生まれ、横浜高等学校出身の元投手です。高校在学時、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で史上2人目となるノーヒットノーランを達成し、『平成の怪物』と称されました。
高校を卒業する1998年、ドラフト1位で埼玉西武ライオンズへ入団するやいなや、初年度から目覚ましい成績を残します。新人王・沢村賞など数々の賞を受賞したほか、オリンピックやWBCでも活躍しました。
2006年、ボストン・レッドソックスと契約し、2007年には日本人として初めてのワールドシリーズ勝利投手となっています。2015年に日本球界へ復帰し、2021年シーズンをもって現役を引退しました。
1988年11月1日生まれ、駒澤大学附属苫小牧高等学校出身の投手です。
2006年にドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスへ入団すると、ルーキーイヤーから先発で11勝を上げ、新人王を獲得しました。2013年には24連勝の成績を残して日本プロ野球新記録を更新し、球団初の日本一に大きく貢献しています。
2014年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍すると、初年度から13勝を上げる活躍を見せました。2020年にフリーエージェントとなったのを機に、2021年シーズンから古巣の東北楽天ゴールデンイーグルスへ復帰しています。
1974年6月12日生まれ、星稜高等学校出身の元外野手です。
1993年にドラフト1位で読売ジャイアンツへ入団すると、在籍したわずか10年の間に首位打者・本塁打王・打点王など他を寄せ付けない成績を残し、日本を代表するスラッガーとしての地位を不動のものとしました。
2003年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍して以降も、その実力で多くのファンを獲得し、2009年にはワールドシリーズでMVPを受賞するという快挙を成し遂げています。2012年に現役引退を発表、翌2013年に国民栄誉賞を受賞しました。
1972年1月28日生まれ、西日本短期大学附属高等学校出身の元外野手です。
1989年にドラフト5位で阪神タイガースへ入団し、1991年に1軍デビューしました。翌1992年に1軍へ定着して活躍すると、2001年にニューヨーク・メッツへ移籍し、2003年までの3シーズンにわたりメジャーリーガーとしてプレーしました。
2004年には北海道日本ハムファイターズに入団し、2006年の引退まで独自のキャラクターとプレースタイルで人気を集めます。2022年からは北海道日本ハムファイターズの監督を務め、『BIGBOSS』の愛称で広く親しまれています。
1986年8月16日生まれ、東北高等学校出身の投手です。2005年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズへ入団すると、翌2006年には二桁勝利を上げてチームの日本一に大きく貢献しました。
2012年にテキサス・レンジャーズへ移籍してメジャーリーガーになると、ロサンゼルス・ドジャースやシカゴ・カブスなどでキャリアを重ねました。
2022年には、サンディエゴ・パドレスへの移籍早々に開幕投手を務めたほか、メジャー史上最速での通算1,500奪三振の偉業を達成しています。
1973年10月22日生まれ、愛知工業大学名電高等学校出身の元外野手です。1991年にドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)へ入団しました。
1994年、登録名を『鈴木一朗』から『イチロー』へ変更すると、同年にMVP(以降3年連続)と首位打者(以降7年連続)に輝きました。
2001年、シアトル・マリナーズへの移籍後もその勢いは止まりません。移籍したその年に、新人王・首位打者・最多安打・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞など、数多くの賞を受賞しました。
ニューヨーク・ヤンキースやマイアミ・マーリンズでもプレーしたのち、古巣のシアトル・マリナーズへ戻り、2019年に現役を引退しています。引退後もなお日米両国で愛される、まさにレジェンドというべき人物です。
1994年7月5日生まれ、花巻東高等学校出身の投手です。
2013年、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズへ入団すると、投打の二刀流としてプロ野球選手のキャリアをスタートさせました。翌2014年には10勝・10本塁打、2015年には投手として最多勝・最優秀防御率・最優秀勝率の3冠を獲得しています。
ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した2018年に新人王に輝き、途中ケガに苦しみながらも、2021年には9勝2敗・46本塁打の驚異的な成績を残し、ア・リーグMVPを獲得しました。
2022年には、1918年のベーブ・ルース以来となる2桁勝利・2桁本塁打を達成し、ア・リーグを代表する選手として世界中のファンを熱狂させています。
異国の地で活躍する選手を応援しよう
近年、大谷翔平選手をはじめ、数多くの日本人がメジャーリーグで活躍しています。
野球の本場であり、かつ言葉も文化も違うアメリカで活躍をすることは、決して簡単なことではありません。そんな中で努力を惜しまず、国境を越えて愛され認められる日本人メジャーリーガーの存在は、日本人の誇りでもあります。
異国の地で活躍する日本人メジャーリーガーの応援を通じ、日常の中に新たな喜びを見いだしてみてはいかがでしょうか。